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株式会社CSマネージ荻澤純一代表取締役 (前編)

株式会社CSマネージ荻澤純一代表取締役 (前編)株式会社CSマネージ荻澤純一代表取締役 (前編)

まずは、これまでのキャリアからお伺いしたいのですが。

北海道大学の大型計算機センターで、メーカーSEとして当時国内初のマルチプロセッサーの運用開発をやってました。
それと、プログラムの相談を受けたりとか。
何でも相談に乗る、相談屋さんみたいなものかなぁ。
これが1982年から1984年まで。
そのころはだいたい200時間くらい月に働いていたと思います。
まぁ、そんな残業つけることができるわけじゃなかったんだけど(笑)

そこで働いた後に、いきなりフリーになったんですか?
ちょっと説明すると、そのころって北大には当時国内初のマルチプロセッサーが入っていたんです。
もうものすごく大きな汎用機。
体育館みたいなところに、プリンタとプリンタにカット・セパレートされた出力リストがベルトコンベアに載って出てくるんですね。
きっとパソコンしか知らない人には想像できないかもしれません。
しかも当時最先端の装置。
ここで稼動してるコンピュータが全国の主要国立大学と北海道全域の大学とにネットワークで繋がっていました。
また、当時世の中に存在するコンピュータ言語やデータベースなど、様々な分野のプロダクトが揃っていました。

で、仕事するためにはそこらへんの知識がなきゃいけない。
するしかなかったわけね。
そしたら本棚に丸々マニュアルが詰まっているわけです。
一つの本棚に詰まってるの。
それを、覚えたんです。
ちょっとゆっくりだったけれど、1年間かけて、それを働きながら全て勉強して覚えて、身に付けた。
これが非常に貴重な経験だったと思います。

本棚一つ分を丸々ですか!
そう、じゃなきゃ仕事になんなかったから。
そうしてしばらく経ったとき、会社と合わないと思ってきたんです。
会社が進んでいく方向と、自分がやりたい方向が違う。
そう感じてね。
その北海道大学っていうのは、ある会社から出向で行っていたんです。
で、本体の会社は振り返ってみればパソコン事業に傾倒しているんです。
まぁ、そこはアップルにはじめてカナ変換のソフトをのせたくらいのところだったんだけれど、どうも会社の方向とぼくのやりたい事と合わない。
ぼくはパソコンの事業じゃなくて、大型汎用機系の仕事をしたかったんですね。
それで、そのまま会社を辞めたんです。

仕事を個人で受注なさっている状態だったんですか?
いや、全く(笑) ぼくは仕事がない状態でフリーになったんです。
会社辞めて、東京に行ってみようかなぁと。
本当に。
確信もなにもないですよ。
でも、北海道だから、そんなに多くSEとかもいなかったし。
その中で自分はそれなりにやれるだろうっていう気持ちはありました。

仕事が無い状態で!フリーになってからの仕事は問題なく探せたんですか?
フジテレビの仕事があったんです。
これも偶然なんですけれど、ある人からの紹介だったんです。
東京のフジテレビに入って仕事をしてたんです。
ここは、日立の汎用機を使ってシステムを構築する仕事だったんです。

なるほど、偶然とはいえまさにそれまでやっていた仕事ズバリだった、と
そう、システム構成や中身は良く分かっていたから「できないこと」っていうのは無かったよね。
そしてそれが3ヶ月くらいの仕事だったんです。
だけれど、仕事を始めたら契約が延長にされて(笑) 気が付いたら1年半そのままそこで仕事を続けることになったのです。
今思えば企業はオンライン・データベース導入ラッシュだったんですね。

ちなみに、そのときの年収って?
はっきり覚えてないなぁ。
だけどね、うーん、月に50万円くらいはあったと思う。
25歳くらいなんだけど。

25歳で月50万円。
それは、通常の会社員と比べて結構高いと思います
いや、全然。
というかね、ぼくらの時代から全然変わっていないんですよ。
全く。
90年代のバブル崩壊でドンと落ちて。
むしろ今のほうが報酬は下がっているくらい。
フジテレビはプロジェクトの一員として関わっていたでしょう。
だから、一つの仕事を受注できれば、1年半くらいずっと食えてた。
まず、打ち合わせして、仕様書を書いて、作成して、テストして・・・ってのを1年半でやるわけです。
だけれど、今は違うでしょ。
「はい、すぐやって」とか「仕様書なんて要らないでしょ」とか「それも早くやって、数ヶ月で」とかの時代だから。

ちなみにそのころキャリアというものについて考えていたことは?
いや、そんなに考えてなかったよ。
フリーになったときは起業なんて全然考えてなくて。
でも、自分のキャリア(スキル)っていうものは大切にしようと。
大切にして生きていこうと。
多少なりとも自信はあったから。
なんとかなるかなぁ、とね。

そして、フジテレビの仕事が終わると同時に会社設立ですか。
フリーで仕事やってると、すごくねー問題があったの。
それは「弱いな」っていうこと。
大企業だと、色々支障があって。
「会社形態じゃないんでしょ」って言われることもあったし。
それに、誰かが「フリーじゃなくてウチの会社に入りなさいよ」って、余計なお節介をしてくれることもあったし。
だけど、結局は「自分で決めるよ」というところがあった
からね。

フリー時代は雇用上、なにか支障があったのですか?
全ての下の下だったの。
大企業がいて、そこが元請けしてるでしょう。
それで、その下に派遣を送り込む会社がいる。
そしてその下に、派遣を送り込む会社がいる。
ぼくにおりてきたときは3次4次外注とか。
そんなレベル。
しかーもすごく給料とか搾取されちゃってたし。
今でも一緒だよね。
建築会社とかそうじゃない?

マルクスの予言は当たった!と
そう、もうさぁ高度成長期の日雇いと一緒なわけ。

それでも50万円の給与だったということは、元請けは100万円くらい払っていたのかもしれませんね。
そうだねー。
そうこうしているうちに、フジテレビで働いていた仲間の4人で会社をつくっちゃおう、ということになった。
フリー契約でやっているやつとか、会社に所属しているやつとかいたんだけど、そのころは、平均年齢25、26くらいかなぁ。
23歳とかもいたしね。
すごく若かったよ。

その会社はどうやってお客を集めたんですか?
いや、客集めっていうのはなかったの。
一回仕事をとったら、しばらくそのプロジェクトで働くことができたし。
ほら、こういう世界って口コミだったから。

会社作ったらお客はいた、と
しかも、会社設立のときすごく手伝ってくれる人がいたの。
これはフジテレビの仕事をやっているときに知り合った人だけれど、「会社つくりたいんです」って言ったら「そうか」と。
「手伝ってやる!」っていわれて「よろしくお願いいたします」と(笑) いきなり最初から株式会社よ。
しかも40%も出資してくれて。
何もかもやってくれたの。
こちらの可能性だけを信じて、ね。
極端なハナシ、こっちはもう何もやってなくて。
登記もなにもかもやってくれた。
こっちはハンコだけ用意する、みたいなね。

その出会いってすごいですね。
うん。
別に一生懸命まわりに宣伝してまわったわけでもないし。
だけど、その当時フジのプロジェクトのサブリーダーだったんですね。
わずか25歳で。
そういうことを25歳でやってる、ってのが「どれほどのやつか」と分かってもらえたんだと思う。

フリーになったときも会社を設立したときも、以前の仕事での縁が関わってきていますね
そう。
それでも会社を作ってからは、仕事が次々にやってきた。
本当に次々だったのね。
バブル崩壊してから94年くらいかなぁ。
そのときまで営業したことなかったの。
営業マンもいないし。
そのときまで営業しようっていう発想自体が全く無かったの(笑)

会社をつくった当時は年収もよさそうですよね。
遊びまくったよね(笑) みんな独身だったし。
それはよかったと思う。
夜遅かったときもあったけれど、楽しかったね。
そして、北海道時に働いていた前の会社で仲のよかった同僚4人が、ぼくと同じように辞めちゃった。
そのときに、北海道営業所ってことで会社を大きくしたの。
東京に4人、北海道に4人みたいに。
その4人はジョインしてきたわけね。

バブル崩壊時は大変でした?
でもバブル崩壊時は結構大変だった。
それが一番の危機だったといってもいいかもしれない。
ただ私の会社は規模も20名程度だったので、事務所の家賃などの経費を抑えるくらいで何とか乗り越えたけどね。
でも、あまり仕事を選べる状態じゃなかったね。

ねぇ、バブル崩壊ってどんな状態だったか知ってる? お客との結びつきが弱い独立系だとか。
100人200人のソフト会社なんて、一番弱いところでしょ。
仕事のできない社員をずっと抱えたままの会社は本当にバタバタ倒れていった。

事業体を少しずつ変容させながら生き延びてきたのですか?
大型汎用機をつかったビジネスは全く売れなくなってきていて。
コンピュータ業界はマイクロソフトがWindows3.0を出してダウンサイジングの波がやってきた時期でもあったんだよ。
ほら、ぼくらって、経済の変化に同調せざるをえないところがあるんです。
そのときそのときに調子がいい業界に寄っていって、仕事を受注していくっていう。
例えば、航空会社は国際線に出て行くとか。


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